池野絢子『アートライティング2 芸術研究の方法論』
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レンブラントの絵からそのような印象を受けるのでしょうか? それは、作品を前にした私たち鑑賞者が、描かれていない部分を無意識に想像力によって補うからです。逆に言えば、極めて写実的に描かれたデューラーの野ウサギよりも、レンブラントの象には想像の余地が残されていると言えるかもしれません。したがって、「本物そっくり」であることが必ずしも素晴らしい芸術作品の基準であるとは言えないの
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芸術作品を言葉で表現すること、これを「描写(ディスクリプション)」と言います。ディスクリプションは、視覚芸術を分析するときのもっとも基本的な技術ですが、簡単なようでいて、慣れないと案外難しいのです。というのも、一枚の絵がそこにあるとき、私たちはそれが「見えている」のは当たり前だと思っていて、説明なしで済まそうとしてしまうからです。しかし、私たちは見えているようで、意外にも多くのものが見えていません。したがって、ディスクリプションの実践は、作品にじっくり向き合い、自分がその作品になにを認めたのかを確認するための良い手段でもあり
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作品のディスクリプションと比較は、造形芸術の作品の分析においてもっとも重要な技術です。今回取り上げたのは絵画のなかでも具象画ですが、もちろん、作品によって注目すべきポイントは異なってきます。抽象画であれば形態や色彩、筆触がより重要になってくるでしょう。作品を分析するための最初のステップとして、ぜひいろいろな作品のディスクリプションと比較を実践してみて
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視覚芸術についての研究は、いったいいつ始まったのでしょうか。たとえばパウサニアス(生没年未詳) の『ギリシア案内記』や大プリニウス(二三/二四?七九) の『博物誌』のように、芸術について書かれた書物は古代以来ありました。しかしながら、それらは、統一的な観点で芸術作品を論じるものではありませんでした。芸術研究の歴史を考えたとき、とりわけ重要なのは十六世紀に画家ジョルジョ・ヴァザーリ(一五一一?七四) が著した『芸術家列伝』(一五五〇年初版、一五六八年第二版) という書物でしょ
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第二の死から彼ら〔芸術家たち〕を守り、生ある人たちの記憶にできるかぎり長く留めよう[ 註1]」と思っ
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ヴァザーリの歴史観において、頂点にいたのがミケランジェロでした。しかしながら、現代の私たちから見れば、その歴史観は偏ったものであると言わねばならないでしょう。ヴァザーリの『芸術家列伝』は、芸術研究のはじまりであると同時に、芸術をどのように記述するかという、方法論の変遷の幕開けでもあったの
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古代美術史』(一七六四) のなかで、ヴィンケルンマンは「美術の歴史は、各民族、各時代、各美術家のそれぞれの様式の変遷と並んで、美術そのものの誕生、成長、変化、衰退を説かねばならない[ 註3]」と説いています。ヴィンケルマンは、芸術家よりも芸術作品そのものやその環境、精神性に注意を払い、「誕生、成長、変化、衰退」という四段階で古代美術の歴史を語ろうと
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様式とは、造形芸術における作品の表現形式のことで、個人についても、あるいは時代や地域といった集団についても用いられます。たとえば「ゴッホの様式」と言えばゴッホという画家個人が有する独特な表現のありかたを指しますが、「バロック様式」と言えば、十六世紀末から十八世紀初頭に西洋で制作された芸術の造形的特徴を指してい
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ウィーンの美術史家リーグルは、芸術の歴史的展開を考えるとき、ヴァザーリにとってのルネサンス、ヴィンケルマンにとっての古代ギリシアのように、芸術がある頂点に向かって進歩し、衰退するという図式を支持しませんでした。リーグルによれば、それぞれの時代の芸術にはその時代に固有の「芸術意思」があり、各々の芸術意思の発露がその時代の芸術表現となります。したがって、ある時代の芸術を最上として、それにどれだけ近づいているかで芸術を評価することはまったく誤ったことなの
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様式論の立場をとったもう一人の重要な美術史家がハインリッヒ・ヴェルフリン(一八六四?一九四五) です。ヴェルフリンは『美術史の基礎概念』(一九一五) という著作において、自らの方法を「名前のない美術史」と表現しています。それはつまり、芸術の歴史を、さまざまな偉大な芸術家の名前の交代史としてではなく、芸術それ自体の自律的発展として捉えようという立場のこと
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リーグルやヴェルフリンの方法論が唱えられた十九世紀後半から二十世紀にかけては、芸術の世界に大きな変化が生じた時代でもありました。すなわち、近代美術(モダン・アート)と呼ばれる新しい芸術表現の誕生
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記号学者のチャールズ・サンダース・パース(一八三九?一九一四) による分類[ 註1] を参照して「外観が似ている」ことに基づいた第一のイメージの性質を「イコン」、対象と直接の関係を持たない、新しい意味を示す場合を「シンボル」と呼ぶことにしましょう。前者は類似性に、後者は象徴性に基づいたイメージの性質